長岡といえば花火が有名。
日本三大花火といわれている。
長岡では8月2日3日と合計約2万発の花火が上がる。
でこの長岡の花火、海外でも毎年打ち上げられている。
2012年からハワイ州ホノルル市で毎年3月長岡花火が打ち上げられていたのだが、来年は8月15日に大花火大会がホノルルで行われそうだ。
長岡とホノルルの関係
長岡の花火がなぜホノルルで打ち上げられることになったのか?
話は、第二次世界大戦の時代までさかのぼる。
真珠湾攻撃の司令官山本五十六は長岡の人
皆さんご存知のとおり、日本軍はハワイ州ホノルル市にある真珠湾を攻撃した。
このときの司令官が山本五十六。
歴史に疎い人でも真珠湾攻撃と山本五十六の名前は知ってる人が多いと思う。
この山本五十六の出身地が新潟県長岡市。
一方、長岡市には長岡空襲という苦い過去がある。
長岡空襲
知らない人も多いと思う長岡空襲。
東京空襲とか沖縄戦とか広島長崎の原爆とかに比べるとはるかに認知度が低い。
長岡空襲は、1945年8月1日の日本時間午後10時30分から翌8月2日の午前0時10分の間に、アメリカ軍により行われた空襲。
新潟県長岡市の中心部市街地を標的に焼夷弾が大量に投下された。
これにより中心部市街地の約8割が焼失。
1470人余りが死亡。
罹災戸数は約11986戸。
長岡花火の原型「長岡祭り」はこの長岡空襲からの復興を祈願し、長岡空襲の1年後から始まった祭りだ。
長岡市とホノルル市の交流
長岡市とホノルル市の交は長岡空襲と真珠湾攻撃を経験し、真珠湾攻撃は長岡出身の連合艦隊司令長官、山本五十六が指揮したことから07年から平和交流を始め、12年に姉妹都市提携を結んだ。
2015年8月長岡花火が真珠湾で打ち上げられる
来年は戦後70年にあたる。
この第二次世界大戦終戦70年の記念事業として、
真珠湾は軍港のため、これまでは花火の打ち上げが困難だった。
しかし、3月にホノルル市を訪れた森民夫・長岡市長が米軍側に打診。
協力を取りつけた。
そして、いよいよ2015年8月15日の終戦記念日に、戦没者の慰霊と平和を祈念して真珠湾で長岡花火が打ち上げられる予定となった。
長岡の花火は慰霊と復興の花火
太平洋戦争への慰霊と復興を願ってはじまった長岡の花火。
が長岡の花火はそれだけではなく、自然災害からの復興の意味も含んでいる。
20004年の7.13水害・中越大震災・豪雪の3つの自然災害からの復興をねがって2005年以降はフェニックス(不死鳥)と呼ばれる花火が打ち上げられた。
フェニックス花火は花火の中心に不死鳥に見立てた光跡が現れる尺玉(10号)花火。
このフェニックスとスターマインを、6箇所の打ち上げ場所から平原綾香のデビュー曲『Jupiter』に合わせて打ち上げる。
炎の中からよみがえる不死鳥の輝きが真珠湾で打ち上げられるまであと一年!
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